立春について思う

 パソコンの置き換えはぼちぼち落ち着いてきた。前のDELLから吸い上げた写真や音楽のデータを新しいREGZAに取り込んだ。ハードディスクの容量が80GBから2TBと約25倍にアップしているので30GBのデータなどわずかなものだ。取り込むスピードも格段に上がっている。

 今日は立春だった。とは言え、名ばかりの極寒の一日だった。かつて、丸善石油下津製油所で発行していた「製油所春秋」に、編集担当として書いたコラムを紹介する。▼例えば寒い寒い雪の日や、風の日が、三日も四日も続いたりすると人間の心は暗い状態に閉塞される。しかし、この心の沈滞は現在の環境が永遠不変のものではなく、やがて局面が明るく変化してくることを予知することで解放される▼そのために、人間は寒い冬の真っ最中に「立春」の日を置き、少なくとも暦の上では春が来たものと想定する。そして、それ以降の寒さを「余寒」や「春寒」などと言って本格的な冬の寒さを、経過的な春の前触れとしてとらえてみせる。これが二月四日の立春の起源である。単なる現実逃避の気休めだと思うなかれ、素晴らしい処世上の知恵ではないか。

 今から32年前の作品だ。残念ながら製油所に春が来ることなく数か月後に閉鎖に至ることとなってしまったが。