和歌山から石油の灯が消える

 エネオス和歌山製油所が、来年の10月で閉鎖するという新聞記事が出た。元は東亜燃料和歌山工場だった。

 

 そもそも、和歌山が石油に関係し始めたのは1933(昭和8)年、天然の良港に目を付けた丸善石油が、下津に製油所を作ったことに始まる。

 

 初代社長は松村善藏、会社のマーク「丸にZ」は善藏のイニシャルだ。国内の近代化の需要に応じて順調に業績を伸ばしていたが、世界はそれを上回るスケールで新時代を迎えようとしていた。

 

 昭和14年にドイツ軍がポーランドに侵入、これをきっかけに第2次世界大戦が始まった。この年、世界の列強に後れを取らじと、当時としては最新の国策会社「東亜燃料」が設立された。東亜細亜(東アジア)を制するという意図が社名に現れている。

 

 そして昭和16年真珠湾攻撃に始まり、やがて資源を待たない国の当然の帰結として昭和20年の製油所空襲と敗戦。GHQの統制下で復旧が許可されたのは昭和24年だった。

 

 その翌年に生まれた私は、その丸善石油で青春を謳歌し、やがてコスモ石油へと発展し現在に至る。

 

 今また石油産業は岐路を迎えている。モータリゼーション化石燃料から電気へと移り、同時に企業の変遷も見ることになるだろう。