鎮魂の儀式で工事も安全に

 100年以上前に焼失したと言われる旧極楽寺の跡地で見つかった一基のお墓のような石仏は、宝珠地蔵というものだった。

 

 今日、9時半に、県の担当者、工事業者、区民の関係者が集まり、南金屋の法蔵寺住職によってお悔やみした後、現極楽寺の無縁仏の中に移設された。

 

 読経中に、暑い中だったが、木陰に涼風が吹いて気持ちよかった。喜んでくれたのかも?

 

 この後、住職に「いつ頃に焼失し、現在の極楽寺に移転したものか知りたいので、帰って調べて置いてほしい」と伝えていたら、午後に、別件で訪れていたいなむらの杜に早速、極楽寺前住職の畑中さん(故人)が残された「過去帳」を持って来て見せてくれた。

 

 「過去帳」は、檀家の家族の死亡記録だ。そこには「嘉永4年(1851)乃至昭和〇〇年」という表題が書かれていた。1851年は今から172年前だ。これが現存する最古の資料だが、寺の移設時期などは不明だという。そうか、これまでか。

 

 ちなみに嘉永5年は濱口御陵らによる耐久高校の前身の「耐久社」の創設、翌嘉永6年はペリー来航の年だ。

 

朝、現在の極楽寺に集合して段取り

現場でお悔やみをする