一つの時代の終わりを感じる

 その昔、某M石油で一緒にプレーしたNさんが78歳で亡くなった。今は廃校となった野上のT高校の時「王、長嶋がプロからスカウトに来た時、わしも600万で来た」と言ったのを聞いたことがある。

 彼は、当初、ノンプロを持つ松山製油所に入社したが、会社の不調による部活動の休止にあって下津に戻ってきた。

 私が入社したのは昭和44年で、彼とは10歳も違ったが、バッティングには目を見張るものがあった。そのフォームは安打製造機と言われた張本勲に重なる。

 私のことだが、入った時はピッチャーだったが、制球が定まらないか、打球が遠くに飛ぶかのどちらかを採用されて、以降打者になって「4番ファーストN」の後任を期待された。


 彼が現役を退いた後、クリーンアップを任されて、それなりの成果もあったが、バッティングに関しては未だに彼を越えることはできない。長い間お疲れさまでした。ゆっくりお休みくださいというしかない。