それでも世界は変わらない

 傷心の一日が過ぎて、家の中は12年前の「扉のない家」に戻った。部屋から部屋への移動に、何か忘れ物をしている気になるが、これも一週間もすれば慣れるだろう。

 私が3年前に肺血栓で死にかけたときに思ったのだが、身近なひとつの命が終わっても、世の中は何事もなかったように動いている。ナナの死も同じ。今日は冷たい風が吹いて、でも、太陽が出て、やはり自然はいつものように一日を繰り返す。

 いくら命を賭けても自然は何食わぬ顔でやりすごすのだ。決して「喪に服して一日休みます」などとは言わない。だから、へこたれずに生き続けるしかないのだ。

 ナナの遺骨は求めなかった。でも12年間に撮りためた写真の中から、ベストショットを捜して遺影にしたいと思っている。思い出を掘り起こす時間はたっぷりと残っている。