旧道を訪ねる

 熊野古道もさることながら、かつてわが津木地区と、日高地区との交流は盛んだったようだ。その結果、日高地区に親戚を持つ家は多い。

 

 モータリゼーションはおろか、牛馬に頼る以前に、ひたすら人間の足が交通手段であったころ、いったいどの道を辿ったのであろうか。

 

 まずひとつは、落合区の柿谷から白馬山脈の峠を越えて、日高の蛇尾に通じる道だ。この道を下ると、現在のJRの和佐駅方面に通じる。

 

 子供の頃に、日高から来た馬喰が、牛を引いて家の前を通っていった画像が脳裏に浮かぶ。おそらくこの道から来たのだろう。

 

 

 少し西に寄ると、中村の藤滝からやはり峠を越えて、中津川に降りるコースか、あるいは権保谷から御坊市の湯川町に至る古道が、地理院地図に残っている。

 

 今日もバイクで白馬山脈の裏表を見てきたが、母親の里の近くに、ありえない道がある。この破線の道は1メートル未満の道だと、説明がある。

 

 とんでもないところから登ったもんだ。

 

 

 バイクの右側の谷から

コンクリートで固めた階段があった