12日に訪れた寒川神社のことは書いたが「和歌山県神社庁」のHPのなかで、当地との因縁めいた記述を見つけた。
【寒川祭は、宝暦8(1758)年、有田郡津木岩渕村の浪人医者岡木橋順より伝習したとの記録があり、昭和40年県無形文化財の指定を受けている。】の部分だ。
【和歌山県神社庁】http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=6027
今でこそ道路事情が格段によくなり、バイクで40キロも走れば着く距離だが、260年も前に、山道しかなく、峠を越えて日高川に遮られながら、どれだけの時間がかかっただろう。
しかし、人の往来があったという事実には違いない。昔の人は偉かった。