みかんの集荷方法の変遷

 仁義のみかん取りはいよいよ佳境に入った。今日の場所はかつては段々畑だったらしいが、経年による土砂の移動で、ほとんどが斜面状態だ。足を置く位置を確保しないとズルズルと落ちてしまう。
 と言うと誇大表現かも知れないが大きくは外していない。地下足袋の裏で土をこすって足の置く場所を確保してから作業に取り組んだ。
 しかしここにもモノラックのレールが来ていて、とにかく取れば何とかなる。その昔は、取ったみかんを人力で「おうこ」と「もっこ」で担いで集めた。母ちゃんが小学生の頃に同じようにおうこで担いだ「ふんご」に大人の半分づつを入れてもらって運んだというのもその名残だ。
 その後はみかん畑の集約場所から、家の近くに通じる「索道」が敷設され、複数のコンテナを積んだ貨物が空中を基地に運ばれる時代があったが、今はその方法も絶えてエンジンつきのモノラックで集荷してトラックで運ぶ形態になった。今でも、あちこちに索道の基地の残骸が残っている。