金メダルへの思い

 体操の内村航平が本人はもちろんのこと日本国民が念願する二つ目の金メダルを個人総合で取った。テレビで先輩の池谷が解説していたが6種目すべてが高得点でないと実現不可能なメダルだ。誰もが苦手な「あん馬」からスタートし、これを無難にこなして調子に乗り、跳馬では16点を超えるビッグな得点を出し、最後は得意の床でナンバーワンを決めた。
 今、世界中で最も美しい演技をする選手として「100メートルのボルトより金メダルに近い」と世界が認めるアスリートに成長した。4年前のアテネで団体で銀メダルをとりながらも、横目で金メダルの中国選手を羨ましそうに見て「4年後には絶対最も美しい色のメダルを取ってやる」と言った映像も紹介された。
 話は変わりますが、私もたくさんの金メダルを持っています。(突然、です・ます調)かつて和歌山県職場体育連盟が主催した企業対抗の競技大会で、仕事柄自分が窓口として選手集めやチーム編成をして出場し、ありとあらゆる競技に参加した。陸上では100m、200m、400mリレー。槍投げ砲丸投げ円盤投げ。水泳で100m自由形、さらに柔道。
 強く記憶に残っているのは400mリレーで、従業員1,000人の丸善が10,000人の住金選抜に勝ったと言う自負。当時の自分の100mの最高記録は11.8秒だったが、4人でつなぐと43秒台で優勝した。一人当たり11秒もかかっていない。
 もう、40年近くなるのでそのときのメンバーを公表してもいいかな。第一走は箕島高校で甲子園に出場した田中正、第二走はハンドボール部の塩崎泰弘、第三走は同期でやはり甲子園に出場し、当時1試合6盗塁の新記録を達成した星林高校の田中恵、そしてアンカーの私、第一走者の田中正のリードを、さらに拡げながらの完璧な勝利だった。みんな若くて溌剌としていた。