「浪速のモーツァルト」の異名をとるキダタローさんが93歳で亡くなった。CMソングで有名だが、歌謡曲、社歌、校歌も作曲し、生涯の作曲数は本人曰く5000曲を下らないとおっしゃる。
昭和53年か54年頃、私がいた丸善石油下津製油所のブラスバンド部が、大阪のフェスティバルホールで行われた産業音楽祭に出演していた。
この時は、確か10年連続の優秀賞を受賞した記念の大会だった。その席に審査員としてキダタロー先生がいたのだった。
先生は、独特の柔らかい浪花弁でお褒めの言葉をくれたあとで、事前のアンケートで伝えていた部の悩み「後継者がいないので存続が危うい」に対して「はい、それは前にいらっしゃる方(髪の毛の乏しいD部員)の頭を見たら分かります」と言って、会場を大爆笑にしたことを覚えている。
私は文体(文化体育活動)担当で応援に行ったのだが、同じ課にいた結婚前の母ちゃんも、大阪支店のコーラス部に混じって下津から4~5名合同で出演していて思い出を共有する。
もう45年も前の出来ごとだが、誰かが録音した音源が我が家に残っている。ちなみに、キダタローさんは、私の母親と同じ1930年生まれだった。