車検を受けたのにあまり乗っていないRTに、少し遠出をしてもらった。行く先はタイムマシンにのって838年前の鎌倉時代だ。
場所は、田辺市上富田町の生馬地区。ここに、源平合戦で敗れて落ち延びた平維盛(これもり)の遺構があるという。(維盛は清盛の孫で、イケメンだったらしいが戦には弱かった)
出典は全国の廃村集落を取材している「村影弥太郎」さん。こちらだ。
日本の人口は、2008年の1憶2千808万人をピークに、昨年は1憶2千502万人になっている。
13年間で実に257万人も減少しているのだ。かつて、100万県民と言われた和歌山県が、二つ半も消えてしまったということだ。
現場には2時間ほどで着いた。かつての小学校分校の建物も顕在で、少し山に入ったところにも、生活感は残されていた。それにつけても、ここの蕎麦屋の繁昌には興ざめした。
元小学校の分校
入口の蕎麦屋は大賑わい
すぐ下の谷川の水は澄んでいて、維盛は「ここで暮らそう」と言ったのかもしれない。
少し上流には広場があった
そこには一軒の廃墟があった
元の県道36号にもどって少し行ったところにあった橋。なんで「たいら」と付いたのだろう。