昭和を生きた人

 今日見送ったK氏は、かつて町会議員を歴任し、一生を無農薬農業に徹した人であったとY方丈の回顧談にあった。昭和9年に生まれて終戦時は11歳の少年が、行く末をどう思ったのであろうか。夢多き青春時代は戦後の困窮の時代と重なる。
 喪主の息子が会葬御礼の挨拶で「最期は、食べれない、動けない、しゃべれない」状態が3年あまり続いた」という。そういう意味では「その三重苦から解き放たれて喜んでいるだろう」と語った。その間、一人で家業をこなしつつ、かいがいしく世話した気丈な奥様が、さすがに最後のお別れのときに棺の中の夫の顔に我が顔を寄せて嗚咽をもらした。
 「ありがとう、そしてお疲れさま、私の愛した人」と私には聞こえた。