台風12号の無残な爪あと

 快晴の日曜日、3ヶ月ぶりにレオグラードの月例に出た。ところが、いつもは20分で着く道路が迂回路で、台風12号の足跡がくっきり残っていた。近所の人の弟さんが亡くなった生コンの作業所、その隣の牛舎が無残な姿を今もとどめている。500頭もいた牛達が流されて、生き残ったものが日高川が海に注ぐ煙樹が浜で走っていたという。当然、ほとんどは溺死して海岸に打ち上げられたという話も聞いていた。
 9月21日の森園への通勤途上の山崩れで、我々二人がもう15分遅れて通過していて、運悪く埋もれていたら、どうなっていたのだろうかと、昨夜から考えた。
 今まで生きていた二つの命がはたと途絶える。あとは、一体誰が何をどうするのだろう?
若かりし頃「明日に死んでもいい生き方をしろ」と、何かの本で読んだが、何を言っているのかよく分かっていない。おそらく「人に迷惑をかけないように準備万端整えておけ」というくらいにしか受け止めていない。
 そういう人たちが、東北大震災で2万人、今回の紀州で100人ほどが本当に出たのだ。少なくとも、二人のわずかな資産の状況とその取り扱いについては、しかるべき相続者に何らかの形で残しておくべきではないかとふと考えさせられた。ということで、長男の徹君には宝の地図を書いて残して置く。地図は、大きなイチョウの木の根元に埋めておいた。って今書いたばかりだからまだ実行していない。

【死者が出た生コン会社の現場】

【牛とブタが流された飼育所】