歴史を訪ねる会

 「有田地方と広川の歴史」を著した外江元教師の講演会に二人で出かけた。「いなむらまち歩きの会」が主催するシリーズで、今回が2回目だった。

 

 我が町の歴史を知りたいという人が多いと思うが、彼の著した書ほど、その要望に応える書物は、残念ながら広川町にはない。

 

 今日のテーマは「広川町を鎌倉時代南北朝からひも解く」だった。源頼朝承久の乱後鳥羽上皇、守護・地頭など、歴史で習った言葉が出てきたが、忘却の彼方から呼び戻すには時間がかかる。

 

 そんな中で、津木の岩淵に残る宝篋印塔は誰のものだったかと言う話になり、当時は非常に高価なもので、相当の身分と財力がないと建立できないものであったという。

 著書には「村の人は、この石塔は後醍醐天皇の第一皇子である護良親王に仕えていた小寺相模守のものであると聞かされて育った」記されている。

 

 発刊から50年近く経ち、外江氏も78歳になられている。記憶を辿り辿りお話してくださったが、小寺相模野守だという断定はされなかった。なんせ、800年も前の話なのだから。

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【岩淵に残る宝篋印塔】