梅本正之氏のこと

 母校耐久高校からプロ野球に進んだのは二人しかいない。その一人が梅本氏で、わが故郷の津木村の出身で、1955年(昭和30年)に大阪タイガースに入団した。

 

 当人に初めて出会ったのは、自分が小学生の頃で、小学校で野球をして遊んでいたら、イノシシ撃ちの猟師に交じって、背の高い青年が校庭の外を歩いて行った。

 

 「おい、あれ梅本やで」「鉄砲も持たんとどうやってイノシシ退治するんやろ」「そら、お前、ボール投げて殺すんやろ」などと、子供らがええかげんなことを言っていた。おそらくオフで帰省していたのだろう。逆算すると24歳の頃だったと思われる。

 

 次に出会ったのは、私は卒業していて野球部OB会の新年会の席だった。「自分も津木の出身です」と言って挨拶したら、握手してくれて、大きな手だなあと思ったが、向こうも同じように感じたようで「手、大きいなあ」と言ってくれた。

 

 何で今頃と思われるが、新庄剛志が来季の日ハムの監督をするというニュースが大々的に報じられているが、虎風荘の寮長をしていた時代の写真がネットで見つかったので紹介した。

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経歴などはこちらのウイキで。

 

梅本正之 - Wikipedia