センポ・スギハラ

 杉原千畝は明治33年1月1日生まれの外交官で、第二次世界大戦中、リトアニアカウナス領事館に赴任していた時に、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、多くの避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くがユダヤ系であった。
 御坊の映画館では上映していないので母ちゃんと和歌山市まで見に行った。千畝を演じるのは唐沢寿明、その妻幸子を小雪が好演している。この時代の外交官の立場は微妙だった。ドイツのヒトラーが欧州の各国を蹂躙し続ける中、日本政府も日独伊の3国同盟に偏る。しかし、現地で実情を見抜いていた千畝は、ドイツの敗北と、大日本帝国のおごりと壊滅を予測しながらベルリンの日本領事官に上申するも「本国」に意見は届かなかった。そのうち千畝が予測したとおりになったのは現在人の知るところだ。
 結局ユダヤ人を中心とする難民6,000人にビザを発給し、ナチスから日本を通過して各国に逃がした。現在、約4万人の子孫が世界で生きているという。
 でも、厳しい時代だなあ。もしも私がその立場だったら、問い合わせた「本国」から「その必要はない」との回答が来たとき「でも、発給禁止とは言ってないから」とビザを出すことが出来ただろうか。それは、国を裏切り外交官の地位も家族の安寧をも放棄するという決断だった。
 当然、終戦後には彼の外交官と言う存在は「なかったこと」にされ、クビにされた。ドラマの終盤、昭和43年に彼が行きたかったモスクワで、あのとき救われたユダヤ人が長年探し続けたセンポを見つけ出して礼を言う。センポは官職を失い小さな商社のビジネスマンとなっていた。
 2000年(平成12年)、河野洋平外務大臣の顕彰演説によって、日本政府による公式の名誉回復がなされた。それは、千畝の没後14年目、そして生誕100年という節目のことであった。
【今日の言葉】
映画が始まるまでに食事の時間が取れないときは、ポテトとコーラと白浜ケバブで済ますべきだ。(今日の俺たち)