S先輩の不慮の死に思う

 16日の志賀高原で、Nの携帯に入ったメールに「船の事故で亡くなりました」とあったS先輩の通夜に行ってきた。コスモルブの本社にいる頃には毎日のように二人で飲み歩き、六本木辺りの怪しい店にも出入りした。S氏は、顔はアランドロンだが、しゃべるとベチャベチャの和歌山弁で私が通訳したことは数限りない。ところが海外勤務の経験もあって英語が堪能で、会社にかかってきた外人からの電話を彼に回して対応してもらったこともある。
 バドミントンでは国体選手、ブラスバンドではドラムを操り、ゴルフが上手くて粘り強い、私にとってはあらゆる面で良き友人であり良きライバルであった。彼の娘が上京した時、市川で私の娘も呼んで4人で飲んだことがある。その娘が、祭壇の右横で涙に濡れるS氏の妻と並んで参列者にお辞儀をしていた。一瞬、眼が合ったが、その日のことを覚えてくれていたかどうかは分からない。
 本社にいる頃の共通の飲み友達からメールが入った。派遣社員であった彼女の分のお悔やみも心で述べて帰ってきた。人の命のはかなさを垣間見る出来事だった。彼の人柄によるものであろうか今夜はおそらく300人以上の参拝客があった。