仕事始め

 副区長としての最初の仕事を2件完了した。何のことはない、前任者からの名前の変更だ。一つは、銀行口座、もう一つは電気料金の請求書の送り先だ。

 

 昨日に引き続いて、超低温の朝だった。放射冷却効果で夜半にはマイナスになったらしく、霜や氷で白い景色だった。

 

 それにつけても寒い夜だ。日本の医療崩壊を予測させるような都会の感染者数に慄然とする。

引継ぎ

 区の役員の新旧引継ぎを19時から行った。6年離れていたが、見覚えのある資料が山のように全副区長から手渡された。

 一番大きい段ボール箱は「私も2年間全く見ていない」という代物で、これはとりあえず納屋行きだな。他の資料も多いので「明日軽トラでとりにくるわ」と公民館に置き去りにした。

 

 こんな小さな自治体でも、規模は小さいがやることはたくさんある。徐々に簡素化は図られているが、一気に変えるのは難しい。でも、今回のコロナ禍がきっかけで、何かが変わるかもしれない。ちょっと期待するが・・・。

歌わなくっちゃ

 新型コロナのクラスタがカラオケ店で多いという。でも、声を張り上げ、唾を飛ばして歌うだいご味は魅力的で、できれば行きたい。

 でもこのご時世、それはご法度だ。で、今夜はYouTubeで、都はるみを大音量で聞いている。

 実は私の音域が彼女とぴったり合っているのだ。美空ひばりは、かなり高いので届かない。さだまさしも、高音域でちょっと届かないところがある。

 

 今夜も、ともに歌った「千年の古都」「古都逍遥」は絶品だ。気持ちよく眠れそうだ。

成人式の想い出

 はるか50年前だ。ええっつ、そんなに生きたの俺?確か、スーツを持っていなくて、Yシャツの上にロングコートを着て写真に写っている。

 

 18歳で石油精製の現場に配属されて、交代制勤務だった。だから、作業着はあっても背広を着る機会は2年間なかったのだ。

 

 町の主催する式に出て、50人程の合同写真に写っているが、ぶざまなスタイルだ。洗練されていないイノシシだったが、それはそれで蒼い時のいい思い出だ。

地方自治の行く末

 この地区の初集会だった。戸数は25戸を下回っているが、今日、O新区長の選出とともに、彼が指名する副区長になってしまった。

 

 その原因が、区の行政の一大イベントである、秋の「付立」にある。つけたてと読むのだが、この地区の財政を左右する。

 

 この地区に在住する人に加え、この地区に財産を持っている人、さらに、かつてこの地に暮らしたが、先祖が死に絶えて、でも家屋や田畑が残っている人に区費を請求する作業だ。

 

 歳入を求めるこの事務を、私が担当することになった8年前から、それまで算盤か電卓で計算し、帳面に記述していた方法を一新し、すべてエクセルのアウトプットとした。

 

 さらに、区外の資産家への区費の請求書類も、郵便局の振込用紙のフォーマットをパソコンに取り込んで、プリントするように簡素化した。

 

 で、今日の区会では「この作業を委託する」ということになった。この地区で、それに応じられる人物は、私とY氏しかいないので「この件、お受けしますがY氏と交代で願いします」と応じた。

 

 この話、ご理解いただけたでしょうか?

 

 

ミステリー

 今日も3時から二人で5キロの散歩コースを歩いた。この冬一番冷たかったが、防寒マックスで挑んだら、郵便局を過ぎたあたりから手袋の中が暖かくなった。

 

 今日はメジャーを持って出た。いつも歩くコースで気になる距離がある。例えばガードレールの支柱の間隔とか、溝蓋のグレーチングの長さなどだ。

 

 すべて測って納得した。つまりは自分の一歩が何センチなのかを知りたかったのだ。これはゴルフの歩測に利用するためだ。

 

 結果は私は75センチで妻は65センチだった。1歩で10センチの差がでるので、10歩で100センチ、つまりは1メートルだ。

 コースは妻で約1万歩歩くので1キロの差が出るはずだが、ゴールでは横にいる。つまりは彼女は高速回転しているのだ。(あたりまえでしょ)

 

 今日のタイトルは、インターネットのスタートページに表示される私のHPのアイコンが、いつの間にか津木小学校の校章になっていたことだ。

 

 確かに、昨年はちょかちょかと関わったし、ブログも拝見したが、プロバイダはこんな粋な計らいをするのだろうか。ミステリーだ。

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超寒くても散歩は欠かさない

【第二話】

 ある日、カマ詰めが深夜に及ぶことがあった。(カマ詰めとは、炭になる材木が一週間の乾留を終えて真っ赤に熾きて、これを空気を遮断することで黒炭にすること)

 それが深夜の2時ごろになって、春次は私をホンダドリーム号の荷台に乗せて室河峠に向かった。

 

 この峠には、かつて小山権現が祭られていて、有田と日高の両側から参拝者があって賑わった。しかし、その頃には建物も朽ち果てて、礎石がゴロゴロところがっている惨状だった。

 

 炭小屋への小道には、いつのものかは分からない数基の墓石が建っていた。灯りは春次が持つ懐中電灯ひとつで、哲は後ろに得体のしれない闇を引き連れていた。

 その墓石の前を、春次のケツにひっついて着いて行ったが、いつ鬼に襲われるかという恐怖が半端じゃなかった。

 

 そりゃ、戦争の体験もある親父だったので、生々しい人間の生死を見て来たであろうが、それが逆に怖かったから小4の私を共にしたのではなかっただろうか。(つづく)