御坊市の外れに、ひっそりとたたずむ小さな古墳がある。実はこれが政争に巻き込まれ非業の死を遂げた有間皇子の墓だという説が有力だ。
歴史ではその首謀者である中大兄皇子(後の天智天皇)によって海南市の藤白坂で絞首刑にされたとある。それがなぜ、御坊市にあるのか不思議だが、殺された皇子の親族らが、一時は心の病を患った(ふりをした?)皇子が白浜の温泉で蘇ったことで、難波と白浜の中間点にやすらぎの場所として埋葬したのかもしれない。
なにしろ紀元658年、1354年も前のことで私もよく知らない。あたりまえやろ!