暑いだけで死ぬことはない

 今日も暑かったが、朝一にこの間植え替えた墓の榊に水遣りをした。一番左の墓は太平洋戦争で亡くなった叔父と祖父の弟の墓だ。叔父の勇は今から68年前にニューギニアのマノクワリで戦死(おそらくは餓死)した。死亡の日は昭和20年3月1日と墓石には書いてある。今日ユーチューブで「マノクワリ」で検索したら「西部ニューギニア戦線・遠藤定夫マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(16)」に遭遇した。戦争も末期の昭和18年12月頃からニューギニアに兵士を送っている。この戦記はそこそこ残されているが日本帝国陸軍の断末魔の狂気の作戦により数万人の兵士が兵站を絶たれて餓死している。
 当家の先代長男が未婚のままわずか25歳で南方で無念の死を遂げた事実は、当時は詳しくは肉親に伝えられていない。伝えるべき人のほとんどが戦死していることもあるが、送り込んでおいてほったらかしにした兵の行方など逃げ帰った幹部には知る由もない。私が聞き及んでいるのは「戦病死」だったということのみだ。飢餓、灼熱、不衛生、病害虫に加え、原住民による殺戮もあったようだ。「軍隊では真面目な者が先に死んでいった」と遠藤氏が言うとおり、おそらく勇さんも「気は優しくて力持ち」の評判があったように、なす術もなく死んでいったのだろう。
 あと一月で68回目の終戦記念日を迎える。墓掃除をしながらふと彼らの心境を思ってみた。
インドネシア文化宮】
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