旭川にて

 北陸や東北には高橋容疑者が入りびたったネットカフェのようなものがなく、今4日ぶりに旭川市内の「自遊空間」に辿り着いた。夕べ泊まった「秋田屋」のママと常連客のKさんと4人での作戦は「旭川中央図書館に行けばネットができる」との結論であったが、朝から旭山動物園に行き、その帰りに図書館に寄って申請したら「公共施設なので個人的な情報発信はまかりならぬーーー」とバッサリ断られた。それで今タカハシ風に個室に潜んでいる。今書き終えて14時30分。これから稚内に向けて旅を続ける。今夜は道の駅で車中泊となりそうだ。
 
【21日】
 和歌山では大雨警報が出る中「早よ逃げよっ」と8時に輪島市の「ペンションハトヤ」の住所をナビにセットして飛び出した。二人で交互に運転するので休憩時間はごく短い。ゴール前に巌門(がんもん)に立ち寄ったが能登半島の先端の輪島市には16時30分に無事到着した。
 輪島は漆器で有名だが街は高い建物はほとんどなく、民家を初めとするすべての建物が黒い屋根瓦にこげ茶の板張りで統一され落ち着いた雰囲気をかもしていた。

 
 ハトヤはすぐ前が日本海の砂浜であったが最近砂浜が宅地造成され海が少し先になったとママさんは言った。一区画が50坪ほどの土地に500万円ほどの価格看板を立てて売り出されているが建物はわずか2戸だけで、あとは草が生え茂って絶好のナナの散歩場所になった。オフシーズンの今はひっそりとして客は我々だけだった。1階はフロントと食堂で2階には6部屋あった。犬が大好きなママが「今日は他のお客様がいないので食事のときもわんちゃん一緒でいいですよ」と言ってくれた。
 24時間沸いているというお風呂に入っていよいよ夕食だ。アサヒスーパードライの中ビンで乾杯した。「くーー、うまいっ!」目の前には現役漁師のご主人が腕を振るった船盛りがドーンと構えている。この船の乗客はカニやエビ、数種類の魚のさしみにサザエのつぼ焼きなどだ。その横に茹でたズワイが一匹大きな皿に乗っている。ビールが2本瞬く間に進んで、続いて輪島の名酒「千枚田」の2合入りが2本進んだ。これ以上進むと千枚田がナンマイダになってしまうのでほどほどにしておいた。
 かあちゃんは黙々とズワイをほじくっている。アサヒガニのような胴体半分が入った味噌汁の味は濃厚で、さらに牛肉の鉄板焼きもあった。もうこれ以上はと思ったところへ大将がこれでもかとヤキタラバを持ってきた。ネットの「おまかせコース」の写真からは相当オーバーしている。ひょっとしたらこれはおみやげに持ってきたビワのお返しかな?とにかく二人とも大満足でペット同伴の部屋に戻った。二つのベッドの間でナナが初めての板の間でなんとなくいづらそうにしていたが、持ってきたいつものビーズクッションに半身を横たえて気持ちよく寝ていた。(本日の走行530km)

【22日】
 輪島の朝市は農家と漁師の物々交換から始まったという。朝からナナも連れて冷やかしてきた。ばあさんたちが声をかけてきたが旅の途中で生ものは買えない。「千枚田4合」を1本買ってから海べりまで続く本物の白米千枚田を見て、輪島を後にした。

【車内のナナ】

 ところが能登半島の先っぽから根元に戻る道がほとんど50キロ規制で時間ばかり立つが一向に進まない。ようやく北陸自動車道の小杉インターにたどり着いたらもうお昼だった。それから一路北上を続け新潟まで行ったが、ここで高速道は終わる。このまま日本海沿いを北上し続けたらいつ北海道に着くかわからない。それではと新潟から磐越自動車道で東に向かい、郡山から東北道を北上した。福島西ですでに17時、もうすぐどこかで今日の宿を探さねばならないと思っていたが「待てよ、このまま走り続けて青森港まで行けば午前2時発の函館行きフェリーに乗れるじゃないか」と方針変更し、必死のパッチで二人とも睡魔と戦いながら頑張って23時30分に青函フェリー乗り場に辿り着いた。(走行1,011km)

【23日】
【北の大地が見えてきた】

 朝の6時15分に北の大地に足を踏み入れた。実は踏み入れたのはタイヤだが、私は4年ぶり、かあちゃんは18年ぶり、ナナはもちろん初めてだ。

【ナナは初めての景色だ】
 北海道も高速道の伸長が進んでイカメシで有名な森から道央自動車道に乗れた。平日の朝でもあるが車はたまにしか走っていない。「北海道に高速道なんか必要ない」人が大半なのだ。おかげですいすいと札幌市内まで来た。さて、それではまず昔懐かしいところへ行きましょうと社宅のあった月寒に向かった。八紘学園のサイロを見てかあちゃんが懐かしんだ。ヤクルトおばさんのバイトをして毎日訪れていたトヨタもそのままだった。しかし、羊が丘への入り口には日本ハムファイターズの札幌ドームができ、通勤のバス待ちをした福住には大きなイトーヨーカ堂ができ、その地下には札幌行きの地下鉄の駅ができてずいぶんと便利になっている。

八紘学園

【右側のマンションの場所に月寒社宅があった】
 それから大谷地の賃貸しているわがマンションに行き管理人に事情を話してかつての前の部屋のNさんを呼び出してもらった。Nさんは在宅していて管理人の控え室で我々との再会を大喜びをし昔話におおいに花が咲いた。私のブログを見てくれていて我々の日々の生活はすべて掌握されていた。話は尽きなかったが管理人は「すみません、ちょっと着替えたいので」と申し訳なさそうに入ってきてお開きになった。

【再会を喜ぶ二人】
 大谷地の「なかう」でうどんをすすりながら、イトーヨーカ堂で買ったばかりの「宿泊北海道」で今夜のお宿を旭川に予約した。条件に「ネット可」と書かれていたからだ。

旭川に向かう道央道

岩見沢SAで】
 ところが着いてみるとママさんが「線は来てるけどパソコンは主人が持って出た」と言う。「近くにネットができるところはありませんか」と言うと電話帳で探してくれたがどうやらなさそうで、今夜はあきらめて「もういいですよ」と言うと申し訳なさそうに誤ってくれたがお宿情報の「ネット可」というのは「LAN線は来てますよ」ということだと初めて知った。
 「宿泊北海道」に書かれていた秋田屋の「ボリュームのある食事」を食べきれずにいただいて近くのスーパーで買ってきたビールと日本酒男山を頂いた。その後常連客のKさんに誘われて3人で近くのバーに行った。調子に乗って一曲歌って旭川の夜を楽しんだ。今夜のナナは車中泊。(走行463km)