千葉まで来ました

【29日午後】
 旭川でブログを書いた後、札幌経由小樽に向かった。小樽に着いたがこの町は観光客が多くてせせこましくて駐車場がなくて留まりたくなかったのでスルーして余市に向かった。ここで海鮮料理をいただこうと思ったのだが大した店はなく同じところを往復している間に少し奥まった「海鮮料理そーらん」が見つかったのでここで海鮮丼を食べた。その後、津軽海峡フェリーに電話して明日9:30分発の函館発大間行きのフェリーを予約した。

 その後余市のニッカ工場の近くの売店でおみやげのリンゴジュースなどを買って後志羊蹄山に向かった。羊蹄は相変わらずどっしりと座っていた。

函館には18時ころに着いたが今夜の宿は決まっていない。夕食をしながら考えようと湯の川温泉方面に向かっていると太平洋に面した「はこだて亭」があった。ここで北海道最後の夜のカニづくしの豪華料理を頼んで満ち足りた夕食を済ませ、レジで「今夜の宿に駐車場の一角をお借りしたい」と頼んだら問題なく了解が出た。

【30日】
 5時半にスタートしてフェリーの時間までトラピスチヌ修道院、ハリストス正教会五稜郭タワーを見た後、函館ゴルフ倶楽部に隣接するみはらし台公園で朝食を摂った。ここはかつて個人の庭園だったと立看板に書いてあった。往時の盛況ぶりが伺えるが、津軽海峡を見晴らしながら朝食を摂ろうと上がってきたが少し小高い丘で大きな松の木に覆われて海は見えなかった。下の公園の野球場では若者たちが早朝野球に興じていた。函館有斗高校など高校野球の名門校もあるし北の町でも野球は愛されている。
 フェリーは「ばあゆ」という名だった。

1時間40分の船旅を終えて11時10分に「まぐろの一本釣り」で名高い大間に着いた。その後太平洋に沿って制限時速40キロの漁師町をむつまで南下した。むつからは陸奥湾沿いのR279を野辺地まで下った。盛岡出身の言語学者金田一京助が「のーべーずー」と発音したアイヌ語地名だ。高速道路に乗ろうと三沢に向かった。ここには米軍三沢基地がある。輸送機らしい黒い飛行機が2機、上空を横切った。
 分かりにくい第二みちのく道路入口にたどり着いてやっと高速走行ができるようになった。すぐに八戸自動車に入り、岩手県の安代JCで東北自動車道につながっている。ところがここで間違って青森方面に行ってしまった。表示は右「十和田・青森」左「松尾八幡平・盛岡」と書かれていた。地図を見たら青森方面の「鹿角八幡平」が目に入り「八幡平ではない方」にとっさにハンドルを切ってしまったのだ。25キロ先の鹿角八幡平で降りて、最寄りのエネオスで給油して引き返したが50キロ30分をロスした。
 その後は交代しながら順調にみちのくを南下した。夕刻が迫ってきたので高速道近くの道の駅を探したら宮城県の古川ICを降りたところに「道の駅三本木」があった。車内で寝るときにナナは始めのうちは足元で丸くなったり脚の上に乗ってきたりしていたが、今朝は起きてみたら川の字になっていた。

【まるで子供】

【7月1日】
 5時前に三本木をスタートしてR4を仙台に向かった。札幌支店時代の遊び仲間であったIさんが仙台に住んでいるので再会したいと思ったのだ。電話番号が分からなかったがナビに住所を入れて走ったら家の前まで連れて行ってくれた。庭には車が2台止まっていた。まだ6時前だったのでとりあえず青葉城跡に行った。小高い丘は東北大学のキャンパスでもあった。頂上の公園入口には「本日の営業は終了しました」という看板で道半分を閉じていたが「ここまで来てるのに」と入ったらなんてことはない数台の車と散歩の人たちがいた。

伊達政宗の乗馬像は無事だった】

【仙台の町並み】
 眼下には仙台の街並みが一望できる。「あの一番高いビルにコスモ石油仙台支店が入っていた。たぶん今も入っていると思う」と母ちゃんに話した。伊達正宗の乗馬銅像は相変わらず勇ましく朝空をバックに聳えていたが隣の石造りの記念碑には大震災の爪痕が残っていて青いシートがかかっていた。
 山を下りて朝食の場所を探したが、北海道のように「どこにでも空き地や駐車場付きの公園がある」ことはなく、そこらじゅうを走り回ったあと仕方なく水道局のテニスコートの入り口に駐車して朝食を摂った。
 7時半になったのでI家に会いに行った。家の前に着いたら奥様が庭いじりをしていた。妻が車を降りて「おはようございます。まがたにです」と声をかけたがキョトンとしている。記憶の入り口にたどり着くのにしばらく時間がかかったようだ。やがて主人に来訪を告げ起きたてのI氏が現れ、家に入れてくれた。優と同い年のヒロちゃんが嫁ぎ先の野田から遊びに来ていてこちらも偶然の出会いとなった。小学生の頃の顔を写真で覚えているが2児の母となった今も面影が残っていた。大震災の話などを聞き、私のHPを「お気に入り」に登録してもらって8時半においとました。

【仙台のI家にお邪魔して再会を喜ぶ】
 仙台宮城ICから再び東北道に入って郡山JCで磐越自動車道を太平洋側のいわき方面へ進み常磐自動車道を南下した。東北の道路地図はここで終わり関東に入った。ナビを頼りに三郷、葛西と湾岸線から懐かしい京葉道路を通って千葉市緑区昭和の森近くの娘宅には14:30に着いた。双子の孫が待っていてくれた。18時から土気駅近くの「はなの舞」で優家族とMASA/KAO/YUITORUが集まってくれて2時間の孫たちのカラオケ付きの大宴会を催した。