8時前から広島市の平和記念公園で厳かに行われた。原爆ドームの後ろには黒い商工会議所ビルが映っていた。何度も書いたが、1984年(昭和59)に、丸善石油中国支店に転勤の時に入ったビルだ。今も健在でうれしい。
原爆投下時刻の8時15分、テレビに合わせて二人で一分間の黙とうを捧げた。碑文に書かれた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という文字を読みながら。
あの当時の広島は暑かった。「リトルボーイ」投下の目印にされた相生橋の上でのべたなぎは不快極まりなかったが、あれから40年が過ぎ、地球の温暖化による猛烈な暑さの中で、各国からの参列者たちはセンスやうちわをパタパタと仰ぎながら、首相や知事の挨拶を聞いていた。
夕方の散歩に川に入ってみたが、水はぬるかった。昨年の6月の水害で崩れた護岸が、一月ほど前から補修に入っていて、今日も石垣積みが相当進んだ。工事業者の人たちも炎天下で気の毒に思う。