前半はパープレー

 連日のゴルフで有田東急に出かけた。耐久高校OB会のコンペでKとH中と、初参加のA女史が一緒だった。昨日のレオでの練習が奏功して何とアウトは1ボギー、1バーディの36で上がってきた。お昼にはビールも飲まずに後半に臨んだが、何がどうなったか50も叩いて86になり、DPで5位の成績だった。午前中には7メートルのパーパットが入ったり、最終ホールでドラコンをいただくなりすべてがうまく行った。おそらく、午前中にプレーしたのは「もしかしたら肺血栓で死んでいた」幽霊で、午後にプレーしたのは生き返った本人だった、と考えればうまく説明できる。
 帰ったらツヨの妻の沙織が着いていて、4人で和歌山のワタミまで食事に出かけた。行きを運転したツヨはチョー遠いと憤慨したが田舎と町にはどうしようもない距離があるのだ。でもおいしかったので許してくれ。看護師をしている沙織と入院中のことを話したが、私が見た点滴をつないでいる患者が呆けて、ベッドの反対側に降りようとして点滴が外れてパジャマやベッドが血まみれになることはよくあることらしい。
 それにしても「肺血栓閉塞」で生還した人は見たことないと彼女はいう。担当医のKも、完全に閉塞している右肺入口と、わずか10〜20%しか通っていない左肺入口のCT写真を見てしきりに首をひねっていたと母ちゃんも言った。実はすでに一回目の血栓が肺に飛んでいたのだ。そう言えば7月5日のソフトの練習で打って走ったあと急に胸が苦しくなって倉庫の床に仰向けで休んだあの日が命日になっていたかもしれなかったのだ。14日の入院で、2回目の血栓の飛散防止のネットを心臓前の大静脈に張って溶解剤の点滴治療を行ったのだが、この間約一か月、上空100メートルに張った手すりのない幅60センチの板橋を歩いているような状況だったのだ。本人はそんなことに気づかずにソフトの練習が2回、ゴルフが5回、草刈りを5日こなして。
 ミラクルジョージ奇跡の生還のお話でした。