尾藤公さん逝く

 尾藤公さんが亡くなった。甲子園通算35勝の名将だった。1966年に23歳で箕島高校の監督に就任し、3年目の68年春に初の甲子園出場を果たした。そしてエース東尾らの活躍で初陣ながらベスト4の輝かしい戦績で帰ってきた。その後すぐ我が母校と練習試合があって学生服でグランドに入ってくる彼らは実に堂々として大きく見えた。(試合の内容はこのHP内の「たかされ(4)美しかった夕焼け」に記述)
 尾藤スマイルは周知のとおりだが、やはり大将が堂々としていれば選手も安心してプレーできる。対戦していて特にすごいと思ったのは、点は取れるだけ取れという采配だ。「これだけ取ればもう安心だ」と選手が思えば、劣勢の時「これだけ取られたらもう無理だ」と思ってしまうからだという当時のコメントを甚く納得して覚えている。また血気盛んな頃は采配をなじるスタンドの野次馬に「おまえにできるならやってみろー」とユニフォームの上着を脱いで投げつけたというエピソードもあった。68歳と言えば自分と8つしか違わない。早世と言わざるを得ない。