懐かしい恩師の名が再び

 今年から新聞が朝日に変わった。今日の短歌のコーナーに久しぶりに高校時代の恩師木寺俊爾先生の作品を見つけ、元気でいらっしゃることが分かった。

 

 このブログを始めた10年前の2011年1月28日に、宮中での歌会始に氏が招かれて短歌を披露されたことを書いたが、3年ほど前に、もう歌作も終わるような歌があって、その後読売新聞に変わってからは見ることがなかった。

 

 ネットで調べさせてもらったら、高校は不明だが千葉大学を卒業され2年間故郷の日高川町で農業をされたが、教師への道を捨てられず広島大学編入し、国語教員の資格を取られて昭和40年(1965)に耐久高校で教員としてのスタートを切られた。

 

 平成22年(2010)年には、耐久高校で取り組んだ「新聞コラムノート」を取り入れた教育実践や西行の研究などが評価されて、春の叙勲で瑞宝小綬章を受章されている。

 

 さて、今日の作品だが

 

   啼きて飛ぶ 鴉の一家見送りて 反哺の考を ふと思ひたり

 

 講評はなかったが、反哺の考とは食物を口移しに食べさせることで、成長して親に恩を報いることのたとえだという。(カラスは生まれてから母鳥に養われた60日間の恩返しに、母鳥に食物を口移しで食べさせるといわれる)

 

 おそらく、親を見送ってきたが、自分は果たして恩返しができていたのだろうか、との思いと読ませていただく。氏は86歳になられる。